うーん。

2008年12月19日 日常
職場で泣いた。
さすがにみんなの前では泣けないので、更衣室でオギャーと。
その人らにとってはどうでもいいことなのかもしれないけれど、
私には、ものすごく不愉快に感じることだった。

ミーティングで同僚が、
「自分はこの仕事に情熱を傾けてやっている。
私は、休みの日も、仕事にいかせることをやっている。みんなはどういうことを休みの間にしているのか?
本を読んだり、他社見学に行ったりしているのか?
もっと、自分から動かなければいけない。そういうことができない、情熱がない人は、この仕事じゃなくても、もっと他に給料がよくて楽な仕事はいっぱいある。だから、やめてもらってもいい」
ということを喋った。
彼が興奮気味に言った「自分のような情熱がない人はやめてもらってもいい」
という意味の言葉が、私はやけにひっかかった。
以前、上司が言っていた「ただお金だけもらえればいい、という人はやめてもらってかまわない」
という言葉も甦ってきた。

「やめてもらってもいい」
という言葉をそんなに簡単に言える、ということが不愉快だった。
今の職種以外はヌルいとでもいいたげなところも嫌だった。
去年の転職活動期間のことや、初めて就職した時のことが、胸の奥からこみあげてきた。

「情熱」と「仕事をきちんとやること」は別ではないか。
情熱があるからといって、地味な仕事がおざなりでもいいのか?
と、もやもやとした気持ちもあった。
また、情熱、って何だろうか。
「自分は情熱を持っている」と主張し、目に見えるように、「私はこんなに頑張っていますよ」とアピールすることが情熱、なのだろうか。

なんでもない言葉、なんだと思う。
「やめてもらってもいい」で、「やめて欲しい」ではないので、それほど強い言葉でもない。
しかし、「やめて欲しい」ではなく「やめてもらってもいい」という言い方もなにかひっかかる。
「やめてもらってもいい」って、辞めるっていうことは、本人が決めるもんじゃないのか。

「辞める」といううことを「なんでもなく」言えてしまうところが、そしてそれにほとんどの人が違和感を感じないところが嫌だった。
ミーティング後に悶々とした気持ちがおさまらず、上司に
「以前、○○さん(上司)も言われてたことで胸にひっかかっていたことなんですが・・・・・・」
と話そうとしたが、気持ちが昂ぶりすぎて、涙が出てきた。
「すみません」とことわって、急いで更衣室に行き、泣いた。

自分がなぜ、こんなに気持ちをかき乱されたのか、何かを許せない気持ちになったのか、まだよく整理できないでいる。

彼らは、「生活のための仕事」は彼らの「情熱を傾ける仕事」に比べるとつまらないもののように言う。
でも私は、「生活のための仕事」は、彼らが言うよりも、もっと大変なことじゃないのか、と思う。

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