知人

2007年5月11日
知人に激しい人がいる。
議論好き。
自分がしないことを相手に当然のように求める。
たとえ屁理屈を使っても、絶対に折れない。
私はそういうところにいつもむっとして、彼と二人でいるとよく険悪な雰囲気になった。
「セリーヌ全集届いた!いえーい、いいでしょ」と私がはしゃいでみせたら、
「高価で美麗な本なんて、セリーヌが生きてたら否定するものじゃないか。そんなものをありがたがることは、セリーヌから遠い人間しかしない」
と、セリーヌを一行も読んでないのに言い放ってしまう人だった。
彼に「なんで卒論をサルトルじゃなくてセリーヌにしたの」と尋ねられ「顔が好みだったからです」と答える私もよくないが。

彼はよくダツコーチク、ダツコーチクという呪文で無知な田舎娘の私を啓蒙しようとしたが、私は「勉強しろ」と言われると昼寝する駄目人間なので、結局大学時代はろくにポストモダンなるものに感化されないまま卒業してしまった。
正確にいうとモダンにも辿り着いていない。
漢字の練習をしている。

でも、割と誰に対しても言いたい放題なので、意気地なしの私は彼にはっとさせられることがある。
特に印象深いのは、彼自身から聞いた話だが、彼が語学研修で渡仏していた時、丁度アメリカで起こったテロが騒がれている時だった。
フランスでは反米ムードが強かった。
そこで語学学校の授業中、教師がアメリカのイラク派兵に関する話を始め、クラスに一人いるアメリカ人の生徒に
「アメリカはどういうつもりなの」
となかば責めるように尋ねたそうだ。
そこで彼は「それは違うんじゃないの」と教師に反論したらしい。
「すごいだろー」と自画自賛の彼を認めるのはちょっと癪だったが(しかも「そのアメリカ人の女の子が可愛かったし自分に気があったと思う」とか言っていた)、教室の空気、先生と教師という力関係、しかも、その時点では語学学校にいる語学力だから話すこと自体が普段より難しい状況だったことを考えると、なかなかやれることではない、と思った。
教室で生徒にする質問としてどこがおかしいか、ということは詳しく説明しなかったが、
「アメリカは支持しないが、ヨーロッパが絶対じゃない。」ということを伝えたらしい。
私は「偉いですね」と言った。
私も同じことを感じ、行動できるだろうか。
自信が無い。

「あんな滅茶苦茶に理不尽なこと言われ続けて、よく今も彼と連絡とってるね」と共通の知人に言われるが、多分この思い出が私にとって強烈なものだったからだと思う。
理不尽なことで責められたことはそれはそれで今も思い出して嫌な気持ちになる。

「ポストモダンしか読んでないのに全てを語る人は信用できん。私はポストモダンもモダンも読んでないけどね!」
ということを言い、彼から「だからよしださんは駄目なんっすよ」と説教されたのが彼と直接会った最後の記憶だ。

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